總社 和田八幡宮
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社頭でのご祈祷(初宮詣、七五三詣、厄年祓、交通安全、病気平癒、家内安全、商売繁盛、学業成就、合格祈願、安産祈願、成人の祝い、その他)を受付厳修いたします。

出張祭典のご案内

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和田八幡宮 由緒

放たれた希望の矢の先に・・・

今から千五十年前(平安時代中頃)、当時この地方は、たびたび洪水や疫病に襲われていました。当時、越前で守護職をしていた源 満仲公は、霊夢により東北に向け矢を放ちました。矢の落ちた先である越前(現福井市和田)にお宮を創建し、満仲八幡御宮と石に刻み、祈念し、護摩焚きをしたところ、洪水や疫病が鎮まったといいます。そのお宮というのが、和田八幡宮です。

その後神仏混淆の京都、岩清水八幡宮に順次お宮が建立され、和田にも社殿が造営し、和田八幡宮は「和田七郷」の総社として、当時はその規模が雄大であったといいます(東西約650m、南北約1400m)。
院坊は、次の16ヶ所に置かれました。
円持院(本坊で養泉寺とも呼ばれた) 、松林院、杉本坊、三明坊、嘉例寺、東霊寺、守住院、光明院、円融院、本光院、長久院、己心院、来迎院、慧照院、無常院浄徳寺

清和源氏之祖系図

焼きうちにあい全焼、そして再建へ

創建から数百年後、朝倉敏景は宮祠を修理し、和田村一千貫文を供えました。
ところが、天正元年(1573年)の一揆の動乱により、宮祠、樹木、社家、僧坊等すべて焼きうちされてしまいました。三明坊の尊久は、潜かに御神体を背負って東郷の南山に逃れ、そこで20年余りをすごしました。その後、旧地に帰って祠を営み、神体をまつったといわれています。

慶長6年 (1601年)、松平秀康により再建が命ぜられました。
元和9年(1623年)1月15日、三河守参議、松平忠直の命令により、本殿、拝殿、廊下、華表瑞籬が完成し、その後180年間、和田の里に壮麗な神社を誇りました。

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